京うさぎがほえる

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3人目妊娠出産記録 30週で陣痛切迫早産 入院生活 産むことの大変さを改めて感じた妊娠・出産 

こんにちは❣️

3人目の子が生後6ヶ月になりました。

月日が経つのは早いものです。

昨日からうつぶせでくるくる回りはじめて、方向転換ができるようになりました!

 

さてさて,3人の子どもを出産しましたが産まれ方は十人十色。

特に3人目の子の妊娠,出産は大変でした。

妊娠30週を迎えた頃に切迫早産になり、入院生活となりました。

今日はその3人目の子の出産に至るまでについてを書きたい(記録)したいと思います〜

 

妊娠初期(0週から15週)

妊娠が分かったのはちょうどクリスマスでした。夏生まれがいいなと思っていたので,最高のタイミングでした。上の子2人(当時4歳と9歳)とも赤ちゃんがお腹にいるとわかり大喜びでした。

上の子2人の時も妊娠時につわりがひどく、きっと今回もつわりが大変だろうと思っていたら早々につわりが来ました。毎回つわりは大変ですが,3回目ともなると慣れたもので,いかに快適に吐くかを考えながら食べるもの選ぶので、うまくつわりとも付き合えました。

仕事はフルで働いていましたがちょうどコロナが流行りだし、在宅ワークやおやすみも多く、また,旦那が育児短時間勤務を取得していたので家庭の事は旦那に任せ、無理せずのんびり働くことができました。

 

妊娠中期(16週から27週)

今までの妊娠と比べて気になったのが、少しの動きでもお腹が張りやすくなったということです。なんだか嫌な予感がしました。でも1度目の出産から10年経っていますので「私も歳をとったのかな」程度に軽く考え、お医者さんに相談することもなく日々過ごしていました。

仕事はちょうど新年度を迎え、4月からお休みし、8月の出産予定日まで久々の休暇と思い楽しく過ごしていました。

 

妊娠後期(28週〜)

4月から仕事がお休みになり、2ヶ月目の事。

妊娠30週0日目のことです。

夜寝ていると急にお腹が痛くなり、飛び起きました。

とても嫌な予感がしました。

過去に経験した陣痛に似た痛みだったのです。

「気のせいだろうまだ30週だし」と眠りにつこうと思いましたが,だんだん痛みの間隔が狭まり,ついに2分間隔に。

慌てて産婦人科に電話をし診てもらうことになりました。

産婦人科に着く頃には,お腹の痛みはさらに激しくなり、「旦那に産まれるかも」とつげ,陣痛の中、スマホのネット検索で生存率を調べ「30週なら生存率は90%。もう産むしかない頑張ろう。」と覚悟を決めました。

しかし、病院について看護師さんに,

「もし今日出産になると、30週では赤ちゃんの肺が出来上がっておらず、赤ちゃんが溺れてしまうんですよ。それに生存率は高いですが、障害が残る可能性は否定できません。1日でも長くの中にいてもらう方が安全なんです。陣痛が止まるか分かりませんが,すぐに張り止めの点滴をしましょう。」

といっていただき,すぐに処置をしていただくことで何とか陣痛は遠のき,産まれずにすみました。

 

 

ほっとしたのもつかの間,ここからが大変な入院生活の始まりでした。

点滴の濃度を弱めたり,大丈夫だろうと点滴を外したりするたびに陣痛がやってくるので,退院することができず,気づけば約2カ月間の入院生活となりました。

約2カ月間24時間ずっと点滴と生活をし,トイレとシャワー、ご飯以外はベッドの上で過ごしました。

 

 

腕は点滴の跡だらけに。三、四日で差し替えるたび点滴を打つ血管がだんだん傷つき、腕は腫れ上がり、針を刺す場所もなくなっていきました。

ちなみに、点滴はリトドリンという薬剤。(ウテメリンと同類?)

いわゆる張り止めの点滴です。日本ではよく切迫早産時使われるようです。

2A 20〜40で流し続けました。これより少ないとその都度陣痛のようなものがくるので弱められませんでした。

副作用として,動悸と手の震えがすごかったです。

ラソンを限界まで走った後みたいな感じで、ずっと心臓がバクバクし、ハァハァ。手は勝手に震え、文字を書くことや、箸を持つことができませんでした。

あと、モニター検査のたびお腹の中の赤ちゃんの心拍数もとても速かったです。

この点滴をネットで調べると、外国では長期間使ってはいけないという決まりがあるくらい強い薬のようでとても不安も感じました。

でも早産になるリスクを考えれば仕方ないなと自分に言い聞かせ、痛む腕を我慢し続け耐えました。

 

 

コロナで面会は不可。家族とも会えず、とても寂しい日々を過ごしました。

私以上に大変だったのは,フルで働く旦那です。4月からフル勤務で働くようにしていた旦那に家事,育児,仕事の全てがのしかかりました。本当に大変だったと思います。

4年生の娘は、パパの代わりに家族の夕飯を作るようになりました。LINEのビデオ電話を使って、私が病院からレシピを伝えました。とてもしっかりしているように思いますが,娘は弱音を吐けない性格なので、たまにLINEの向こうで映らないように泣いている声が聞こえてきて胸が痛みました。

息子は,寂しさからわがままを言ったり,持病の喘息が出たりと大変だったようです。幼稚園にも朝から晩まで延長保育をかけ何とかやり過ごしました。

そして何とか36週まで持ちこたえ,生まれても問題がないだろうとの判断で退院することになりました。

6月の梅雨の時期に入院し,肌寒くて、長袖を羽織っていた服装も,退院は7月のもう終わり頃だったので汗ばむ、真夏の気温となっていて半袖でも暑いほどになっていて「浦島太郎だわ」と感じました。

そこから1週間,相変わらず時折微弱の陣痛のようなものを感じつつも自宅でゆっくり過ごすことができました。子どもたちにも会えて,抱きしめあい,涙を流して一緒に過ごせることを喜びました。

 

 

子どもたちが,退院おめでとうの飾りをサプライズで用意してくれていて号泣でした😭

 

出産当日(37週と1日)

36週と6日。ついに本当の陣痛が来ました。長かった入院生活を思い出しながら「やっと赤ちゃんに会える」と喜びでいっぱいでした。

産婦人科に到着し,すぐに出血もあり,いよいよと思っていたのですが,そこから半日なかなか陣痛が強くならず。

まさかの一時帰宅。

その後も2分間隔で陣痛が来るものの,以前2人を産んだときの経験からすると、まだまだ陣痛が弱く,うん、これはまだまだかかるな〜と思いながら、そんなこんなで夜を迎えてしまいました。

これは今日産まれないなと思いながら,布団に入るとついに破水。

病院に急いで行きました。

そこからあっという間。1時間もしないうちに生まれました。

さすが3人目。とてもスピード、出産でした。

無痛分娩も考えていたのに全く間に合わず、そのまま自然分娩で生まれました。

 

その後

なんだかんだいろいろありました。1人目,2人目には経験しなかった切迫早産を経験し,一時はどうなることやらと不安で仕方ない日々でしたが,今は特に発達に遅れも感じず,元気いっぱいに育ってくれています。

 

3人目のこの子が今元気でいられるのは,産婦人科の先生や看護士さんのおかげだと思っています。感謝しても感謝しきれません。

 

そして今目の前で気持ち良さそうにスヤスヤ眠るこの子の将来が楽しみで仕方ありません。

 

 

生まれてくれてありがとう💓